About
20年以上のつらい精神病という過去から生み出された「感性教育と真我教育」
なぜ、私が感性、感性、と言っているのか、美術教育に本気で取り組んでいるのか、
それは、私そのものが、感性がなかった人間だったからです。
小さいころから、よくわからない理由で父に怒鳴られてきました。それは親としての大きな愛情ではあったものの、当時は怖いと思うばかりでした。また、ひどく体調の悪いのも我慢し、つらい、苦しい、いやだ、そういった感情を抑えていったのです。
何かを言うと怒られる、自分の感情をもち、それを表すと怒られる、 そのために「感じてはならない」という防御姿勢が強く育っていったのです。
そして、何を見ても感動しない、話下手、コミュニケーション苦手、緊張症、対人恐怖、 あらゆる不調スパイラルをおこしていました。
私の精神疾患はこのためでした。
中学3年の時から精神疾患を病み、それから20年以上の不調でした。
私の人生は不幸である、ずっとそう思っていました。
しかし、このおかげで、私は、感性と真我を追求することになり、人生を謳歌するようになりました。
自然治癒力を引き出すオステオパシーの両方に出会い、教員になるも、5年目の春先、指導法に自信がもてず、身体を縦に保つことができなくなりました。
オステオパシーの先生から紹介され、アレクサンダーテクニークの学校に行くようになり、そこでは、体のニュートラルな使い方を学びました。
力まずに、体を使うと、歩く、立つ、ものをもつといった
日常の活動全てが効率的で楽で、豊かになっていきました。
道具の使い方もそうです。
筆をもっていい絵を描くぞ!そう思うと
いい絵は描けません。
固くてガチガチで自分を表せなくなってしまいます。
筆が画用紙に当たっている瞬間を見て、
一つ一つの色を全身で感じると
心の表現が全開になっていきます。
アレクサンダーテクニークを学ぶことで、
アートの力もぐんぐん伸びて
個展やグループ展にも出展
アーティストへの道を歩み出しました。
ただ、過去の心の傷は思っていたよりはるか深く、近年、何をやっても声が安定していないことを指摘されることが多く、見た目は元気なのに、心の不安定さが否めない日々を送っていました。
そこで、学びだした真我(内なる生命力)は、学んでたった3か月後には、今度は声がよくなったと言われるようになり、とうとう億を稼ぐインフルエンサーともライブをするようになりました。
真我を開くことにより、奇跡現象が次々に起こる、うつ病が治る、がんが治る、、、、あらゆる奇跡が起き、人生が好転するこのすばらしい技術を得たい、そう思って、ライセンスを取得し、パワフルな
真我カウンセリングを美術の授業、フォトクラスでも取り入れています。
アレクサンダーテクニークを学ぶ友人と集ったお食事会
アレクサンダーテクニークのレッスンの様子を 粘土でつくったのを展覧会で発表いたしました。 そのレッスンの様子に登場する 教師・左と生徒・右です。
子ども(1年生)の作品
子どもにもどって楽しんだ表現体験から生まれた
美術(感性)教育
私は、絵が得意だったから学んだのではないのです。
むしろ苦手だったけれど、思ったことを表すことが必要な時期である小学生体験を取り戻すべく、
絵もまなびはじめたのです。
私には学ぶ必要性があったのです。
小さい頃の心の成長は階段を、少しずつ上っていくものなのでしょう。
飛び級はできないのでしょうね。
大人を演じていた私は、「子ども」という重要な時代に戻って、本気で表現を学びました。
心動かされた場面を描いていると心が深くじんわりあたたかくなってきました。
アレクサンダーテクニークを学んだこともあり、
人目を気にせずに、純粋に絵を描くことに没頭できました。
友達と遊んだ絵。
アトリエでの様子。
大好きな動物である鳥の絵。
旅行したときの思い出の絵。
30代後半にして、いくらでも描けました。
(2020年 神奈川県藤沢市での個展の様子)
楽しくて楽しくてたまりませんでした。
今、感じる力が、わずかでもついてきたとき、感情を抑え込んでいたわたしにとって感じるその喜びは生きる喜びそのものとして輝いています。
同時に、過去の自分のような人生はあってはならない、 あったとしたなら、 変わる必要がある、 幸せになる必要がある、 誰しも、感じる力をつける必要があると思うのです。
感じる力をほかからの批判を気にせずしっかりもつことが大切であり、 表現の原動力になります。 表現は、人に自分の大切な思いを伝えることになり、 そこに共感したり、元気をもらう人が表れ、社会や歴史を作っていくのです。
真我開発と社会への影響
アレクサンダーテクニークを学び、その後も、ビジネス、コーチング、脳科学、気功などを学び、さらに自分を高めるようになりました。アレクサンダーテクニークを学んで自分を変えることができた経験から、自分ができていないな、、欠けているなと思われることは人から学んで解消できる、それが自信につながり、元気になる。そう信じるようになり、講座にどんどん参加するようになりました。
そして、立つことができなかった、煮崩れた豆腐の頃を思えば
あまりに大きな変化を遂げ、私は生まれ変わったのだ、人より秀でているくらいに思って安心していました。
しかし、2年前に入塾したビジネスの講座で、
クラブハウスに出ると声がふるえている、自信がなさそうだといった指摘を受け、周りからの心配の声が絶えなくなってきました。
私はその講座では劣等生の類で、あらゆる人から大丈夫!?と言われていました。
予想外に特別扱いされ、自分の心の状態がまだ安定していなかったのだ。。おもえば、
怖いと思っていた父親像が消えず、何かささいなことがあるたびに、殺される!叩きのめされると思っていたことに気づいたのです。心の根っこのトラウマが消えていなかったことを突き付けられ、自分の心の問題から目を背けていたことを反省しました。
そして今度こそ、抜本的に自分の心を治そう!不安定な自分は卒業し、心身が安定している自分になるんだ!そう決めると人の紹介で、
佐藤康行先生の心の学校を知り、
抜本的に治せる!と書いてあったので、すぐに通うようになりました。
かよってすぐに自動的に自信と感謝の気持ちがわいてきました。
恨んでいた両親の気持ちも私の心がひどい人だととらえていただけなのだと気づいたのです。
兄弟みんなが一致団結し両親を支えるようになってきました。それがあってか、父が、1500万円を子どもそれぞれに渡すねと約束してくれました。
「おめでとう」これは3月に姪の結婚式に伝えた言葉でした。
たった5文字ではありましたが、この時生まれて初めて、初めて言葉を心の底から言えたのだ!という実感が伴っていました。誰でもが言っている言葉でありながら、これは私だけの言葉だ!と思え、言葉がキラキラと光っているように感じられたのでした。姪に対するうれしい気持ちと自分の表現ができた喜びでいっぱいで涙が止まりませんでした。
たった2ヶ月でしだれ柳のような体が樹齢100年ほどの体幹に感じられ、驚きでした。声がおかしい、と言っていた周りの人たちが、声がよい、波動が高い、自信がついたんだね、と言ってくれるようにもなりました。
父のことはとても根深く、何度も何度も繰り返しワークし、今では、大嫌いだった父の怒鳴り声が自分をよくしたいという愛だったことにも気づけました。
かなりさぼり症の自分でも大きく変わるこのワークの威力は、とんでもない。
心の病で子供のころからなかなかなおすことができず、ここまでで30年も苦しんできた私にとって、のどから手が出るほどお会いしたかった佐藤先生の存在を見たのでした。
以前、20歳の時、苦しんでる私を見て、同じように苦しんでる人にやさしくできる人なんだよ、そうできるんだ、と教えてくれた人がいます。私はそうだそれだ!と思いました。しかしそれ以来、それがどうやったらできるのか、いつもいつもわからなくてわからなくて、どうやるのだろう、、そう思って生きてきました。ようやく、答えを見つけたのです。
そして2023年「4月に、私は、支部長になり、受講生の変化をまじかでみるようになりました。収入が2倍になった、体調が大きく改善してお金では換算できない喜びだ、なんでこんなに不調なのに生きてるのだろうという気持ちがなくなり、幸せいっぱいになった、娘が仕事に行けるようになった、3時間で半世紀の悩みが解消した真我を広めたい!、いろいろな報告を受けるようになり、エネルギーがどんどん高くなっていく受講生の変化をみさせていただくことになりました。そして、不満と愚痴ばかりの精神状態がひどい方にも動じずに平静を保って対応できるようになり、以前の私よりもキャパが増大してきました。
真我開発講座後の様子
真我が子どもたち、職場を救う
それと同時に教員の仕事も並行して行い、心の変化とともに職場生活が楽しくなってきました。
教員5年目の時に自信を失い、繰り返す休職を経て、退職し、その間、あまり美術の仕事のチャンスもいただけず、、もういい!!段ボールに入った大量にあった美術の荷物はもう捨てよう!そうやってあきらめたころ、美術の仕事が舞い込んでくるようになりました。5年ほど前の出来事でした。
図工の先生がうつ病になった。助けてほしいと言われたのです。
驚きました。
わああ、私の出番だ!!
そう思って、非常勤講師を始めたのです。
アレクサンダーテクニークで学んだ、道具の繊細な使い方、
人とのかかわり方、もののさわり方、見方を取り入れた結果、
子供たちが図工が大好きになり、仕事にもやりがいを感じるようになりました。
そのあとで、佐藤先生の心の学校に行くことになってからは、
今度は職場環境が絶妙に良くなってきました。
苦手だったこうるさい保健の先生の美点だけは、一つも認めたくないと思ったものの、無理やりでも美点発見(相手の素晴らしいところ、美点を100個発見する。上から褒めるのとは違う)しようと決めたら、向こうからとても親切に笑顔で声をかけてくれるようになり、美点ばかりが見えるようになってきました。
また、去年夏に声をかけていただいた学校では、電話でお話した後、
面談に行くと、最初からもっと授業を持ってほしいと言われました。
電話で話しただけで、顔も一度も見ていない、、なんら、授業もしていないのに、、いったい何を根拠に頼んでいるのだろう、、、私でいいのかな、と疑問に思い、最初はそのくらいなり手がいないのだ、探せないのだと思いこんでいました。
しかし、その後も私は一貫して、たくさんの授業をもつことで疲れることを恐れ、他のいい先生を探してほしいというのですが、校長先生も一貫して、1月からももっとやってほしい、4月からも絶対に来てほしい、なるべくたくさんもってほしい、、絶対にあなたがいい、この学校で必要なのだと言われるのです。
たかだか週6時間のパートタイマーであり、周辺教科でしかない美術で、私は学校の一番底辺にしかいないと思って、たんたんと仕事をしていたつもりが、しかも月に2回ほどお休みをいただいているのに、本当に驚きでした。
おもえば、10年ほど前、休職に及んだ頃、校長先生からは、美術は、あなたが担当じゃなければいいのに、、もう一人の若い先生がいい、と言われて悔しい思いをしたこともあったのです。それを思うと信じられない現象の変化です。
休職の頃の私の心は不安でいっぱいで、自分だけしか見えず、周りを見る余裕など一切ありませんでした。今勤務している学校では、先生方の美点を直接伝えたり、この学校に来れて幸せだと校長先生に繰り返し伝えていたりしたからかもしれません。
しかし、年度の途中からの6年生との対応はなかなか難しくいものがありました。予想外に反抗心が強く、疲れてしまう日もありました。あるとき、キットを配ってほしい、そうお願いすると、誰もやらないよ、誰がやるもんか!?と口々に言われてしまいました。その日は、その声を真に受けて、ひどく傷つき、疲れ果ててしまいました。私は以前のように、精神病にかかって倒れてしまうかもしれない、、これは大変だ、すぐ帰って休まないと、、そう思って帰宅後すぐに布団に入ったのでした。その瞬間でした。名前もほとんど覚えていないのに、私はあの子たちが大好きだ!そう思えて仕方なくなったのです。どんなことをされようとも、大好きで、微動だにしない「大好き」という何かが私から離れないのです。
後から聞くと、昨年崩壊し、担任いじめのあったクラスで、いじめに火がつくと連鎖してしまう、ということを聞きました。
これを機に校長先生と6年生のことを相談すると、何かあったら担任も管理職もすぐに飛んでいくから、すぐに職員室に電話すればいい、と言ってくださいました。
それまでは、授業中に何かあると私の責任だと思って、せめてしまって、恥ずかしくなり、悲しくなっていましたが、そもそも私もそんなに大した教師でもないとわりきり、黒板の書き方だとか、説明の仕方や、そんなテクニック向上はわきにおいて、
トラブルがあった時には、すぐ職員室に電話しよう、そして子供の美点発見をしよう、美点発見マシーンになろう、この2点だけに的を絞って授業しよう!そう決めたのです。それからは、何かあると担任に協力をお願いし対応してもらい、お互いにお礼を言うようにもなり、これでいいんだ、これがいいんだ、協力し合うことがいいんだ、と思えてきました。
また6年生の反抗心が怖くて、しばらくはいいたいことが言えずにいたのですが、2月末、卒業まじかには、美点も思い切り伝え、ダメなことはダメと言って、伝わる関係になってきて、適当な制作態度だったのが、ほぼ全員が自分と向き合って作ってくれるようになって、最後の糸鋸の作品は見事であり、とても感動しました。私が授業に入る前までは、事情があって、糸鋸やのこぎりを使ったことのなかった生徒たちだったので、なおさら感動しました。
反抗する子供もいて、規則ばかりある学校に行くのが地獄で、苦痛だと思っていた10年前。教師には向いてないんだと思い込んでいた自分でしたが、今も困難はありますが、必ず信頼して協力して解決できる教師の仲間がいる、そして
何も縛られることなく、自由にやりやすいように周りが協力して授業をさせていただき、また休みたいときに休ませてもらい、今は、職場が天国のようです。
この真我の威力を美術の教室、学校のみならず、あらゆるところに伝えていくのが私の使命だと思って活動しています。
真我開発講座後の笑顔
ガガルックスでネイル
これまでのプチイベント
GaGaダンスを開発
セクシーダンスを広めてます。
繊細な人のための場「心身を整え前に進む朝活」メンバーと ともに開催した「褒め褒めシャワー忘年会」
真我を開いてから、才能開花。2023年から始めたセルフポートレートがプロカメラマンからも
評価をされ始め、仲間とレッスンを始める
参加者がセクシー披露をするセクシー朝活の様子
真我の高次元手帳講座
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