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感情のあつかい方について

先月、越路清美さんの
ライフイズアート(ダンス)に参加してまいりました。

アメリカのアンナ・ハルプリンのメソッドを
教えてくれています。
実際に長年学ばれた経歴がおありで、
日本で唯一、ワークショップでシェアして教えてくださる方です。
 
★アンナハルプリンについて:ウイキペディアより
ハルプリンの「ライフ/アート・プロセス」は、セラピー、自己変容、心理療法に特化したワークショップを生み出した。身体、動き、対話、声、ドローイング、即興、パフォーマンス、および省察といった手段を通して、自分自身を探求し、自分自身を癒すためのセラピーとして芸術を用いるよう、導くものであった。
ワークは、
足、頭、腕、胸、骨盤、それぞれの身体のパーツごとに
対話し、気づいたことを絵に描き、
踊るのです。

6コマくらい踊るのですが、
4コマめから、
ふたをしていた感情がどばっと出てきました。
その時は、それが何なのか、私にはまったくよくわからない状態でした。

少し経った今、
高校時代の最も苦しかった、
自殺だけを考えて生きていたころの
誰も自殺を止めてほしくない、
絶対に生きるより死んだほうがいいんだと確信をもっていたころの
耐え難い苦しさについて
叫んでいたのではないか、、と
振り返っています。

今でも
言葉で説明することができないレベルのものです。
苦しかった、つらかった、なんていうくらいのものではない。。

よくおおかみがワオーと山の上で吠えている図がありますが、
あの頃の苦しみをワオ―、ワオーと出していたのではないかと思うのです。
思えば、それをしないと、生きていけない状態でした。
だからこそ、ふたを開いて、感情を出せばいいのですが、
あまりに苦しすぎて、ふたをせざるえなかった。
内側で無意識にこんこんと暗黒をにぎりしめていたのです。

思い切りソファを座布団でたたき、
えーい、えーい!と、、
 
私にこんな力があったのか、
こんな怒りをあらわにすることができるのか、
初めての体験で、驚きつつも、
夢中でした。
 
恐ろしいですね。
その姿を自分であらわにしていて、
恐ろしいなと思いました。
私の中にあった暗黒。

その感情はそのまま生きていたんだ。
何十年もの時を超えて。。
 
体験を通してひしひしと思ったのですが、
どんな感情も認め、そうだよね、そうだよねって
自分で自分に言う力をつけないといけない。
私にはそれが大きく完全に欠如していたと思います。

感情の塊があったとしたら、
自分で「そんなの大したことないわよ」といって
自ら踏みにじってきた感じです。

踏みにじらないと進めない環境なんだと自分で思って
何の感情もない人間として生きていたと思います。
 
でもその感情は踏みにじられようともずっと生きている。
消すことは不可能。
岩の下でうごめいている。

それが、心の重しとなり、

人に心開けなかったり、
迷惑をかけたり
許容できなかったり。
正直になれなかったり。。

おかしな自分を演じさせてきました。
 
どれだけ、どれだけ、感情を認め、
形にすることが大事か。。

大事というレベルは、
食事と同等に大事であり、
心が枯渇したのでは、不憫極まりなく、
日常生活を送れないのです。

学校でも美術の授業で、
子供たちに、

いらいらしたこと、
悲しかったこと、焦ったこと、
いろんな感情の絵を描いてもらうことがあります。
 
こういった体験が可能なのは、
学校の枠で言えば、
絵画と日記くらいなんじゃないかな。。

本当にわずかしかない。
だから、その時間が本当に貴重。

感情を表に表現することの立場と意義。
その意義をはっきりつきつけられ、
あなたが最も必要としていたことだよ、
だから、あなたこそ、提供していく使命があるんだよ、
と言われた感じでした。
 
自分にも、人(こども)にも
実践することの決意を固められたリトリートでした。

思い起こすと、
勉強だけに狂って精神病になっていた自分が
最も必要としていたこの意義あるアートを
もう、人(こども)に伝えていられるのは、
最高に幸せだとも深く思えた日々でした。

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