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私の精神病についての病院歴と寛解した経緯

先日、市民の人権擁護の会の支部長である
小倉謙さんの
「変わり始めた心の病への取り組み」を聞きに行きました。 
 
小倉さんご自身の経営するスイミングスクールの生徒である子どもが
精神病院に行って薬を処方され、

全く元気がなくなり、生気がなくなっている。。。

その姿を見た時から

精神医療の問題に取り組まれるようになり、
23年がたつそうです。
そして今、西洋の精神医療の在り方は見直され、
新しい療法への転換が進められていることも聞けました。

  
私もかつて精神科に行ったり
現在開催させていただいてる心の講座の受講生から、
精神科に通っている体験を聞いたりして
精神科での対応については知っているつもりです。

ですので、このような医療に対する問題提議(医学批判とも言われかねない)を

信頼性の高い公共の施設で開催されているのを思うと

小倉さんの発信が認められているのだと思い、感慨深く思い、
すごいことが起きている、時代は変わってきているな、、と実感します。

精神病院の陰口を公開している、、ということではなく、
事実や、データを見せていただき、
客観的にみて何が行われているか、教えていただき、
それに対してどう考えればいいのか、腑に落とすことができました。

日本人の一人ひとりの人生や生涯、
日本の未来を考えたならば、
 
精神科のできること、

精神科の機能については
理解し、周知する必要があります。

ーーー

精神的な苦痛を精神病院にいってなんとかしようという行為は、
その原因を解消する根本の目的から大きく外れ、
ただ長い年月ボケーっとさせ、生涯治らない方向に導いていく。。

主に
●医師がフィーリングで病名を付ける

●薬(劇薬と説明書きにある)を処方する。
●社会が、病院に行くように進めて、精神科にいかざるを得なくなるその仕組み。
 
 
そういった背景を教えていただきましたが、
それら、私の精神病30年以上にわたる経験にも
大きくかかわっていることをひしひしと感じました。

今回は自分の精神病院体験談を書かせていただきます。

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【私の精神科履歴と寛解した経緯】

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★マークで精神病院の特質について解説してます。
 
 

・精神科に通い出す
 
中学3年の夏休み、不眠に悩み、内科を受診し始める。
それから、息切れ、フラフラするといった体調の不調をきっかけに
いろいろな病院、大学病院に次々行くようになる。

検査に行くが特に異常なし。
原因が見つからず、
最後、都内の大学病院に1時間ほどかけて行く。
そこでも原因がわからず、その時に
「それなら、この病院の小児科の精神科に行くといい」と言われ
精神科に行くようになる。
(★そういう精神科行きルートになっているらしい、母も医者の言われるまま。
母も私を何とかしたいと思って
ここに来たら、きっとよくなるだろうと思って信じていたのだと思う。)

 
その時、病院に行くたびに、何も異常がない、と言われることが絶望的だった。
病院に行けば、治す道筋があると希望をもっていたら、「何もない」と言われる。
検査で何もないと「苦しいです」という私の言葉はかき消され。
「みゆき(私の本名)病だ」「わがままだ」と言われる。

(「検査で何もない=大したことない」という考察。
日々苦しく、重大な深刻な心の問題だったが、
その深くに入って何とかしようとすることはない。
それを扱う場所ではないと暗示していたのだと思う。
病院は検査の結果だけを見て判断し、薬や手術が必要かどうかだけ見ていた。
苦しいものは苦しく、フラフラで日常生活が送れない。
  
それを医者に「何でもないのに、わがままだ、おかしな人ね」
と言われて
その見解を受け入れ、
中学生だった自分も、「自分の苦しさは大したことなく、
体調の苦しさは無視して鞭をうつのだ」という感情をつぶした生き方をするように。
ここで最初の苦しさに加え、ねじれた心の状態を癖づけるようになり
超重症化に及んでいった。

・精神科に行っても、医者は心に触れない

高校2年から、高校の担任に言われ、大人の精神科に行くようになる。
(★先生も医者は治してくれる場所と思ってるのか、何の根拠もなくすすめてしまう。
すすめられても自己責任で行く行かないを判断していく必要がある。)

そこで入眠剤をもらっていた。

入眠剤で眠ることはできるが
体調不良はよくならない。

毎日フラフラ。
医者から「大したことない」と言われているため、
その言葉を信じた大人も、大したことないから学校に行きなさいと。
フラフラでようやく学校に行き、保健室に行ったり
廊下で休んだりを繰り返す。

つらいけれど、つらいを言えない日々。
ものすごくつらいことも医者の言う通りに、
大したことはないというふうに決めて
感情を踏みにじってすごす。

(★精神病院ではこういった人の感情や心の深部に触れることもない)

生き地獄の袋小路だった。

入眠剤で眠れたのはよかったけれど、
真っ暗な人生に霧が晴れることはない。

 
精神科に行って、治るのか治らないかわからないのを
ずっと続けることがものすごく不安だった。
治ると思って通っているのに、半年たっても何年たっても
ボロボロ。。

治らないと言ってくれればその覚悟で生きるし、
治るのであれば、それに向かって生きる。
なのに、どうなるのか不明、その説明がないのが
当時の私にとっては非常につらく不安だった。

・自殺を考える

大学生の頃には、いくら通ったところで、
病院ではもう治らないんだなと自分で納得させた。
私の将来は何もない、人生は終わったと自覚した。
 
 
中学3年の時から、精神病を患い、
苦しくて苦しくて、死にたいと思っていたが、
「生きるより死ぬ方がいい」という考えが芽生え、
だんだんその考えは300%正しいとまで思うようになり、
この考えを誰にも絶対に否定されたくないと思うようになる。

そしてもう、ボロボロ人生にこりごりと思って大学3年の時、自殺を決断、
しかし、なかなか勇気なく死ねなくて、
高校の先生に電話した時、
そばにいた奥さんが電話に出て、絶対に死んではいけないと
力強く言うので、やむなく死ぬのをやめた。

また生きるのか、、、せっかくせっかく死ぬ決意をしたというのに
何で生きていなくてはならないのだろう、何年もそう思って
過ごすことになった。

・自然治癒力を高める療法に取り組む

しかし、大学卒業後、
オステオパシーという療法に出会い、
体調が改善してくる。

自分は横になったままで、
専門の先生が頭や体に触れていく間に
自然治癒力が増していく療法。

仕事にも行けるようになり、
小学校の図工の先生を始める。
精神科では治らないとわかっていたので、
オステオパシーをきっかけにほとんど行かなくなる。

 
・倒れたために、職場に言われて再び精神科へ

ただ、学校で働くそこまでの体力はぎりぎりライン。
相変わらず我慢しながらの厳しい状況が続くようになり。。。
身体が苦しく、
さらにその苦しさも「大したことない」といってごまかし続け。。

とうとう6年目、我慢の限界が。。
立つこと、歩くことができなくなり、煮崩れた豆腐状態に。。。
人がしっかり歩いている姿を見ては
「人はなぜ2足歩行ができるのだろう。」と思って不思議で仕方なかった。

 
自分では、効力のない精神科とはっきりとわかっていたが、
管理職が「精神科に行ってきてください」と。
(★社会が精神科に行くように勧めることが仕組化され当たり前になっている
医者の権威は非常に大きく、医者の判断があれば、職場は従うことになっている)

歩くこともままならない様子を見れば、
休む必要があるというのはすぐにわかるはずと思うものの。。。
 
精神科医が病名をつけて「休みましょう」と言いさえすれば、
管理職への説明がつくので、
仕方なくいくようになる。

薬を時々飲むがあまりよい効果を発揮してるように思えないので
だんだん飲まなくなった。

 
・病名で自分にレッテルをはる

休職し始めて、半年すぎたころ、
都内の有名大学病院の精神科に行くと
「躁うつ病」と診断された。

それまでに私が精神科の先生に言われた病名は7個ほど。。非常に多くなっていた。
●起立性調節障害
●うつ病
●躁うつ病
●統合失調症
●適応障害・・・

もう覚えてないけれど、
そのほかまぜこちゃになっていた。

ともかく精神病院に行くと、
適当に病名がつけられるのだ、とその時わかった。
 
それが自分のセルフイメージ化につながり、
その症状が治ることなく、
病名だけが増えていく。
もともと自信がないのに、いくつもの精神病をもった
「ダメな人間である」「特別ダメ人間」というレッテルを
はりまくって生きることに。

(★病名が多くなるのは、医者がそれぞれの主観で名づけ、
その病名をもとに薬を出していると思われる)
私は希望を持つことなく、そういう特別な障害のある人、
病人としての人生を選択していた。

 

・薬で全身じんましんになり、精神科と決別

 

そして、その時処方された薬が、、、、、、、、
全身のじんましんをもよおした。

頭のてっぺんから、手足のつま先まで。。。
今までも、じんましんはあったけれど、
ここまですごいのは初めて。。。

頑張って1週間のんだけれど、、、

(★医者の言うことを聞いて飲まねば、、となっていた。
人は医者の言うとおりにしようとする意識がある)
向精神薬の副作用のひどさは説明書にも書いてあるが、
医者はそれを飲ませているとのこと。。。。)

 
ただ、もうこれは飲めない。。
再来で、同じ先生のところに行き、じんましんが出たことを報告すると、
違う薬を飲むように言われた。。
私は、その時もらった処方箋を薬局に提出しないことにした。

この時、恐ろしくて恐ろしくて、
誰が何と言おうとも、どんなことがあっても校長先生が言ったとしても
精神科には絶対に行かない!と決めた。
(★私が寛解できた転換ポイントの一つはここだったと思う。
今思えばじんましんが全身出て決意が固まってよかった。)

仕事はできる状況ではなく、診断書だけは必要だったから、
内科で書いてもらえる先生を探して書いてもらうようになった。

 

・時間をかけて心と向き合う

ちょうどその頃、心身の緊張をやめるワーク(アレクサンダーテクニーク)を初めて半年ほどたち、
自分の心や体の状態に気づくことが、体調の改善に役立っていることを実感していたので、
それをやり続けよう、治らなかったとしても、
その方が絶対に安全で確実であり、何より希望があり、自分の成長があり意味があると実感した。

中3の不眠症発症から、23年目。

誰かに頼るのではなく、
自分の内側と自分で向き合う方向に進むことになった。

 
ここまで時間がかかり、かなり遠回りだった。
治ることのない病院に行くことが多かったのは、
自分でよりよい方を選択して判断する術をもっておらず、
視野も狭く、周りに言われるまま病院に行くのがまっとうだと思っていたのだと思う。
ここで、本当の解決へかじをきった。
 

 
じんましんが全身に出たから、
病院に行かないと決めたけれど、
アレクサンダーテクニークを学ぶことで、
権威に従ったり、人の言いなりになるのをやめて
自分で選択判断する生き方を心得ていたことが後押ししたと思う。
そして無意識に、病気のままなんとなく生きて、
誰かに助けてもらうという人生をやめ
自分は自立するのだ、変わるんだと決めていたのだと思う。

心の病は本当に本当に苦しく、深刻だが、
どこかの誰かが治してくれる、、
そんなものではなかった。
 
・精神科を離れて元気を取り戻す

それ以降も、自分と深く向き合う作業を繰り返していきました。
2~3年はまだ煮崩れた豆腐状態のようなのが続き、
仕事もできない状況は続きましたが、
そういう中であっても、
確実に自分の変化を実感できるのがわかり、
希望や喜びがありました。

なだらかではあるものの、右肩上がりによくなっていきました。
 

32年目、親との関係性を見直したことで(真我開発講座を受講する)、
しだれ柳のような体だったのが、
樹齢100年もの体幹を持っているように感じ
小学生のような元気な体になっていきました。
虚弱体質だと思い込んでいたので、信じられませんでした。
この時「確実に治った!」と言えるようになりました。

あらゆる精神病名をつけられていた、過去のセルフイメージと
今のセルフイメージは1万倍は違うと言えます。

性格も生き方も全く異なる人間と言ってもいいと思います。

職場でも必要とされ、
もっと働いてほしい、ずっといてほしいと言われるようになりました。

担当する図工の授業時間は、元気になると同時にこの3年で増えていき、
1週間につき、6時間から18時間に一気に増えました。

今出会う方々は、
私がかつて、精神病名をいくつもつけられた人間だと言っても
信じる人はいません。

ーーーー
 
小倉さんの話を通じて、
精神科を絶対視していることがあるなら、
それは見直す必要があること。

●私たちは、それぞれの心の健康のために、
精神病院が何を目的にどう医療が進められているのか、
社会でどう機能しているか、
そこに行くことによって、
何の変化があるのか、何ができるのかを見極めないといけないこと。

●同時に、病気の根本の原因である自身の心と
食生活を見直す方向性に意識を向ける必要があること。

それらしっかり認識することができました。 

もちろん、心のことについて
誰しもがもっと理解を深め、重要視し、
一人ひとりが心の管理ができるようになって
心の病を引き起こすようないじめやパワハラなどない
平穏な社会をつくらないといけないのも事実です。

=====
私の考察
=====
 
薬を使わない精神科もあり、
一つ一つの病院の主旨は違っていて、
全部が全部とは言えませんが、
一般的には今も、
精神科は薬物治療が主だっていると聞きます。

私の精神病の変遷でお分かりの通り、
病院を頼っていた時期はいつまでも治らず苦しく、
どんどん暗くなっていきますが、
 
後半、薬や病院を断ち、自分と向き合うことをし始めてからは
大きく明るい方向へ変わったのです。
 

薬が必要と思われる際には、
すぐやめる前提で、
一時的に気休めに飲むもの、とわりきって使う程度にし、
実際には自分と向き合うことで治すと決めること以外
よくなる道はありません。

薬を使う精神科に頼るのは、
パニックや多動をおさまらせるという、
ばんそうこう的発想であり、
ずっと心の苦しみにばんそうこうをはっても
それはボー――っとして生涯を過ごすことを認めることであり、
活力をみなぎらせて生きていくこととは
全くもって縁がないと言い切れます。

精神科にいって治らないことが続いた自分は、
いつのまにか20年もの間、
生涯通じてそういう特別弱い人生を送るのだと思って生きていました。
 
しかし、治った今、
本来、人は活力がみなぎっているものであり、
そして人を幸せにできる強い力と心をもっているのだ、ということを
自身の体験をもって知り、伝えることができます。
精神病と言われた人でも、うつ病で何年も病気休職した人も、
本当はそういう存在なのです。

  

心の病は、悪人やきちがいの人、変わった人、おかしな人がなるわけではありません。
一生懸命な人、まじめな人、真剣な人、素直な人です。
あるいは、我慢して悲しさやつらさを押し殺している人もいます。

ただ、そういった性格や生活が
本来の人間の心の状態やあり方と
異なってしまっていることがあります。
 
すると無理を引き起こし、
心のねじ曲がった状態を作るのです。

その原因に向き合い、もともとの状態にもどせば
年月や時間はかかったとしても、
勇気はいるかもしれないけれど

だれしも変われると私は確信しています。

変わるというより、元に戻って元気になれるのです。
嘘のように。
  
【写真は現在の私:自撮り(デザイアフォト)を楽しむ私】


 

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